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利休の直流を継ぐ「肥後古流」 昭和48年7月7日熊本日日新聞から

古い文献から証明 細川三代公の影響

 熊本に古くから伝わる茶の湯の「肥後古流」は、その複雑な手前から、千利休の伝統的な茶道を受け継ぐものと言われている。しかしそれも単なる言い伝えにすぎずだれも証明するものはいなかったが、このほど表千家流の茶道史研究家によって文献上からも間違いないことが明らかにされた。

 肥後古流がまさしく利休流であることを証明したのは日本陶磁協会常務理事の磯野新威氏(70)(住所略)磯野氏は表千家流の茶人だが細川家と親しくしている関係で、肥後古流の存在を知った。詳しく聞いてみると、伝統的な利休流を受け継いでいるという。利休の手前を研究している折でもあり、急に興味がわき、さる六月三日、八代市の松井家で行われた肥後古流のしょうぶ鑑賞茶会にわざわざ訪れた。

 その手前を見て、利休流に間違いないまず確信したのは、道具の組み合わせだった。三千家流では、濃茶の場合水指しの前に茶入れを一つ置くが、肥後古流では最初から茶筅、茶巾、茶杓を仕組んだ茶わんを並べる。これだけでも利休流に間違いないことがわかったが、これでは証拠づけにはならないため帰京後、古い文献をあさった。ところが「南坊録利休茶湯日記」に肥後古流と同じ置き合わせで開かれた利休茶会の記録を発見、さらに詳しく調べたところ五十六回の茶会のうち二十六回もが、このやり方で開かれていた。これで文献上でも肥後古流が正真正銘の利休流であることが証明されたわけで、磯野氏によると「これは茶道界にとってひとつの大きな発見だ」という。

 さらに肥後古流が、三千家流と違う点は腰につける袱紗(ふくさ)の位置。三千家流では左の腰につけるが、肥後古流では右腰とまったく逆。これは武士階級の中で受け継がれてきた利休流の伝統を端的に物語るものだという。つまり武士は左腰に刀を差している関係で袱紗は右につけるならわし。ところが三千家は主に町民階層の中で育ち確立したため、取りはずしが容易な自然な位置である左腰になったという。

 ところでなぜ九州の熊本に伝統的流儀が残ったのか。これについて磯野氏は「利休の茶湯を重んじた細川幽斎、三斎、忠利三代公の影響ではなかろうか」と言っている。磯野氏はこの研究結果をまとめて近く茶道雑誌に発表するが、伝統的茶道を自負しながら続けてきた肥後古流茶人にとって、歴史的なよりどころを得たといえよう。

(完) 

この研究結果について、ご存知の方が居られましたらご教示いただければ幸いです
(ご連絡は→こちらからどうぞ)。 管理人(10/06/2004)