朝幕融和に奔走した肥後藩士 上田久兵衛の書状出版   

平成14年4月22日・熊本日日新聞から

 幕末、肥後藩の京都留守居役として朝幕融和運動に奔走した上田久兵衛の日記や書状をまとめた「幕末京都の政局と朝廷−肥後藩京都留守居役の書状・日記から見た−」(宮地正人国立歴史民族博物館長・編解説)=写真=がこのほど出版された。
 
 幕末の政局は幕府対薩長同盟という図式でとらえられがちだが、他の諸藩もそれぞれの藩是に基づいて、その実現のために活動を展開していた。江戸時代、薩摩の押さえの役割を意識してきた肥後藩の立場は「朝幕融和」「反長州尊攘派」。京都を舞台に必死で政局に関与してきた。

 その中心人物が二百石取りの肥後藩士上田久兵衛。元治元(1864)年、久兵衛は京都留守居役に抜てきされた。時に京都には長州藩の大兵が上京し、一触即発の状況。久兵衛の政治手腕には藩主慶順はもちろん幕府も大きな期待を寄せていたという。

 久兵衛は、御所の安全保持を全面に掲げて会津藩と朝廷の間を奔走。窮状に追い込まれた会津藩を救う。次に唐津藩世子小笠原長行の勅勘解除にあたり成功させる。

 筆まめだった久兵衛は多くの文書を残し、それらは上田家の子孫宅に保管されてきた。熊本の実家との書簡、各藩藩士らの書状、藩庁あての書き付け、日記などだ。
 
 宮地館長は前任の東京大学史料編纂所で大学院の明治維新演習の教材としてこれらの史料を採用。二年間にわたり、ゼミの学生や久兵衛の子孫らと読み解き、このほど資料集にまとめた。宮地館長は「当時の政治的雰囲気をよく伝え、幕末の政治史史料として貴重な文書」とあとがきに記している。

以下略