青龍寺以来之面々子孫

  沼田勘解由  嫡流  五千石  
     十之進  四代延将弟延春流  五百石
     治部之允    同上  延晃流  五百石
  志水才七郎    三拾人扶持 天正元年八月、藤孝桂川西地一職仰せ付けにより
志水雅楽之助に領地安堵の証書を出す。
     次郎右衛門  千三百石
     平大夫  三百石
     源太  三百石
     式右衛門  拾人扶持
  牧 佐学  千石
     新五左衛門  三百石
     猪之介  三百石
     市左衛門   四百石
  山本丹左衛門  千五百石
  石寺加兵衛  五百石
  一宮源四郎  二百石
     吉右衛門  百五十石
     膳大夫  二百石
     彦左衛門  五人扶持
  米田左兵衛 与左衛門子左兵衛流  五百石 元亀二年、米田求政の後妻(北畠教正女)は勝龍寺
城で男子出生。初名藤十郎、後与左衛門貞正。
忠利代家老、後知行召上。
     傳兵衛 与左衛門子甚左衛門流  二百石
  河喜多専右衛門  百五十石
      五郎大夫  六百石
      作左衛門  二百石
      権兵衛  二百石
      角左衛門  二百石
  的場又左衛門  二百石
     勘七  二百石
  魚住左一右衛門  三百石
  中村三右衛門  二百石
     兵助  二百石
  生源寺市兵衛  二百石
  神足勘右衛門 神足角左衛門流  百五十石 天正元年信長の坂本攻めに当たり、神足掃部が地下
人と共に勝龍寺城に入城
     又兵衛 神足又兵衛流  二百石
     浅右衛門 神足八郎右衛門流  八人扶持
  磯田吉左衛門  二百石
  友岡軍治  二百石
  八木田政之助  二百石
      三蔵  二百石
      団七  二百石
  杉 十郎右衛門  五人扶持
     形右衛門  百石
  沢村三右衛門  二百五十石
     甚兵衛  二百石
     平治  百五十石
  樹下団之丞  三百石
  神戸弥太蔵  二百石
  可児文右衛門  二百石
     才右衛門  百五十石
  内藤宗的  百石 (御医師)
  岡本権之允  八人扶持
     源介  八人扶持二十石
  宮部市左衛門  百五十石
     角兵衛  二百石
     久右衛門  百五十石
  西川郷右衛門  五人扶持二十石
  坂根少九郎  七拾石
  粟津嘉治郎  百石
    権兵衛  五人扶持二十石

以上五十九人