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        三月に入ると薩軍が高瀬の戦いに敗れた話や田原坂・吉次峠での激戦の模様が伝わっ
       てきた。
        それに伴って夥しい薩兵の死傷者が、大八車や担架で川尻へ次々と運ばれてくる。
        春の雨はその遺体にも、呻吟する戦傷者にも容赦なく降りかかっていた。
        戦没者は横町の延寿寺で読経供養の後に埋葬され、負傷者は病院に充てられた寺や大  
       家に収容されていく。
        連日それらに立ち会う休は、わけなき戦にやり場のない怒りがこみあげてくる。
        薩兵は同志の死傷の様を目の当たりにして気が荒むのであろう、兵舎は殺伐な空気につ
       つまれているようである。
        その日は寒の戻りで、朝から北風がピュウピュウと中空を吹き抜けていた。
        休は延寿寺から帰り奥の間で書き物をしていると、見回りに出かけていたのであろう水橋
       弥久馬らが息急き切って駆け込み
       「上田様!」と、土間から大声で告げる。
       「何事か」休は筆をおき訊ねると
       「薩兵が怪しか振舞いの男ば捕らえたそうです」
       「どんな事をしたのだ」
       「川岸から薩軍本営ば窺っとったそうです」
       「魚捕りではないのか」
       「はい、その男は近くの在のもんで魚ば捕りに来たと言うち、網ば持っとったそうですばって
       ん、言葉遺いが武家ことばらしかったので問い詰めると、高田原に住む熊本士族で、鎮撫
       隊員だと言ったそうです」
       「・・・・・・」
       「ところが鎮撫隊員の通鑑(通行手形)も持っとらんので嘘だということになり、斬るらしか噂
       でした」 それは理不尽な、と休は思った。
        鎮撫隊員と名乗れば、こちらに一応問い合わせするのが筋道、休は急ぎ足で本営へ行っ
       た。塩飽屋の裏手には榎の大樹がある。
        そのまわりを四、五人の薩兵が取り囲んでいる。
        どの顔にも殺気が走っていた。
       「どうしたのだ」
        休は顔見知りの槍を構えている薩兵に訊ねた。
       「このにせは敵の間諜でごわす」と異様に凄みの漂う眼を休に向けて言う。
        休は榎の根元に眼を移した。
        子供の頃天然痘を患ったのであろう、あばた顔で綿入れ半天を着た男が、大樹に縛られ
       ていたが、全く見知らぬ男である。
        男が休を見る眼にも何の変化も現れない。
        高田原は下級武士の居住地であるが、下級武士でも熊本士族ならば、休を見知らぬ筈は
        ない。これは間諜に間違いない。だがいま助けなければ、この男は殺される。
        休は咄嗟にそう判断すると
       「この男は、鎮撫隊出入りの者でござる。不埒があれば当方で取り調べて処分を致す所存
       にござればお引渡しくだされ」
       「じゃっどん、こいは間諜でごわす」
        ひとりの男が眉をひそめて、休に抗議するように鋭く言った。
       「間諜、その証拠は」
        休に後ろ暗い思いはあったが、強い口調になっていた。
       「そいが白状せんとでごわす」
       「上田どん、お前んがよか具合に裁くとよか」
        いつの間に来たのか原田壮之丞がそう言って、その場を収めた。
        鎮撫隊に連れてきた男は、咳をしては「寒い、寒い」と言って土間におかれた火鉢にかじ
       り付いて震えていた。
        気を利かせた勤が、徳利から茶碗に酒を注いで渡すと、美味しそうに飲み干し、人心地が
       ついたのか厚意が身にしみたのか、憑かれたように話し始めた。
        男は八代士族で陸軍伍長榊原庄一と名乗り黒田清隆の率いる政府軍として、日奈久に
       上陸した。八代の士族たちと協力して日奈久の薩軍守備隊を破り、八代も占領した。
       このあと山手の薩軍を攻略すれば、官軍は川尻に向かう予定なので、自分は斥候として川
       尻の地形や、薩軍の兵数、兵器などを調べに来たのです、と語ったあと溜め息をつくと、
       「掴まった以上は、どんな刑でも覚悟しています」と観念した面持ちで呟いた。
        休は事情を噛み分けるように、ゆっくりと言った。
       「そなたを処罰するつもりはない。だが今度薩軍に掴まれば、そなたの命はないし、鎮撫隊
       も薩軍と仲違いとなる。すぐ帰隊することをそなたが約束するなら許してもよいが」
       「有難うございます。今から八代へ帰ります」と言う榊原の眼は感謝に潤んでいた。
       心が落ち着いたのか榊原は、隊員が出した握り飯を頬張り、休が与えた通鑑を喜んで受け
       取ると
       「これで薩軍番所も無事通れます」と言い幾度も礼をのべて、うす闇の中に消えて行った。
        その二日後、薩軍本営から
       「船会所の戸の隙間から中を覗いていた男を引っ捕まえると、その男は鎮撫隊の通鑑を見せ
       るのでつい油断した。そのすきに男は逃げてしまった」と連絡に来た薩兵には、休の心を見
       透かすような非難の色が浮かんでいた。
        男は榊原庄一に間違いない。使いを寄越した原田壮之丞の憤激した形相が眼に見えるよ
       うである。
       これは大変なことになった。薩軍と鎮撫隊が反目することにでもなれば、この地の治安は
       覚束ない
        勃然と湧いてくる怒りと悔いが、休の全身を走り抜けた。
        休は同田貫の剛刀を掴むと
       「草の根を分けても榊原庄一を探して斬れ」と隊員に命じた。
        下外城にある船会所までは、路を挟んで間口二間位の様々な物を商う店が軒を連ねて
       いる。家にいる者も、道行く人も皆、鎮撫隊の虱つぶしの捜索に協力してはくれたが、特
       徴あるあばた面の行方は杳として分からなかった。
       (男は鎮撫隊の通鑑を見せた)薩兵の突き刺すような声が、休の耳の奥でこだましている。
        休は泥沼にひき込まれるような焦りの中にあった。
        船会所は藩政時代、出船入船の指図や荷改めの役人がいた所だが、現在は薩兵が屯し
       て官軍の船舶侵入を防ぐため、物々しい警固の陣をしいていた。
        休は船会所で榊原庄一の足取りを訊ねると、薩兵は先日のことを根に持っているのか、
       つっけんどんに
       「中無田に逃げた、日和見山で聞いてくれ」と言う。
        外城町と中無田村の境に小高い丘がある。この丘の楼から雲の様子や旗の動きを見ては
       その日の天気を占い、船会所へ連絡していたので、この丘は日和見山と呼ばれている。
        その日和見山も薩軍の官船監視所に変わっていた。
        監視所の薩兵は親切にその日の事を説明してくれた。
       (会所からの叫び声に、これは只事ではないと、四・五人の者が走り出ると、折りよく逃げて
       くる頬被りした男と出くわした。驚いた男は、いきなり掘割に飛び込んだので見失ったという。)
        加勢川と無田川を結ぶ川幅四間もあろう、この掘割には、満々と湛えられた水がゆっくりと
       流れ、両岸は、背丈の高い枯草に覆われている。この付近に榊原がまだ隠れているかもし
       れない。
        休たちは川岸を捜しながら下外城天満宮の境内まで来ると、休憩することにした。
        休は捜し出せない苛立ちに、眼の前が暗く翳ようである。
        隊員たちの表情にも気落ちの色が濃く、皆黙り込んでいる。
        しんと静まりかえったなかで、休の耳に誰かの苦しげな咳が聞こえた。
        休は見回すが隊員ではないようだ。どうも社殿の裏手かららしい。
        休が足音を忍ばせて裏側に回ると、板壁の中は物置らしく観音開きになっている。
        耳を澄ますと、かすかな物音がする。休の目配せで、抜刀した隊員が遠巻きに周囲を固
       めた。休の五体に緊張の疼きが走る。
       「ギーッ」と勤が開き戸を左右に開いた。
        同時に黒い人は脱兎の勢いで包囲をくぐり抜け、休の眼の前を横切った。
        捷い身のこなしである。
       「えい」休は胸のうちから噴きあげてくる絶叫とともに、同田貫が閃いた。
        骨を断つ重い手ごたえがあった。
        榊原が頭に被っていた手拭いは裂けて真赤に染まり、脚半、わらじ姿の脚が、かすかなけ
       いれんを繰り返していた。

        四月に入ると日増しに戦局は薩軍に不利のようで、薩兵の士気は沈んでいた。
       塩飽屋本営には、早打ちで各地からの連絡が頻繁に届き、時には西郷を始め諸将も集ま
       って挽回策をたてているらしい。
        何れにしても薩摩街道の要地川尻町が、近いうちに官軍と薩軍の決戦場になることに、
       間違いはあるまい。
        そんな不安と苛立ちのなかで四月十二日を迎えた。昨夜からの大雨は小降りになってい
       たが、風は激しく吹き荒んでいた。
        蓑笠をつけ巡回に出た休の前を、三名の薩兵が雨に濡れ草鞋の泥を背中まで跳ね上
       げて走り抜けて行く。兵舎への連絡らしい。
        不審に駆られた休が、急ぎ足で本営へ行くと、何となく慌ただしい雰囲気である。
       「戦でござるか」
        休は折り好く庭にいた原田壮之丞に訊ねた。
       「敵の尖兵が走潟近くに出没した模様でごわす」と傘を傾け緊張した面持ちで言う。
        走潟は川尻から南西へ二里の地点である。官軍の川尻攻撃は間近に迫っているらしい。
        一瞬川尻町の阿鼻叫喚のさまが、休の脳裡をよぎり、焦燥に急き立てられる。
       「それは大ごとで、それがしも川尻の人々を早く避難させずばなりますまい」
       「そいがようごわす」
        長居は出来ない。帰りかけた休に
       「上田どんには、まっことお世話になり申した」と原田がしんみりと言う。
       「いや、拙者こそ」
       「お前んのお気持ちようわかり申した。この町には迷惑はかけ申さんつもりでごわす」
        休はわが耳を疑って、原田を凝視した。
        原田は黙って自分の口に指を充あて口外するな≠フ仕草をしたが、眼は笑っていた。
        喜びが休の五体から噴きあがった。
       「辱ない、よしなにお願いつかまつる」
        休は原田の好意に目頭が熱くなるのを覚え、慌てておじぎをすると帰途についた。
        午後は幸い風雨もおさまり、薄日のさす日和となった。休は手筈通り、在に身寄りのある
       者や、女子供の避難を指示した。
       「トントン・・・・」と戸を釘付けする者、家財道具を運ぶ車の軋めき、犬の遠吠えなどの喧
       騒が続いていたが、夕刻には避難もすんだらしく町中は寂しく静まり帰っていた。
        十三日、盗難放火の警戒に当たっていた休の耳に、朝から山間をこだまして大気を震わ
       す大砲の音、炒り豆が爆ぜるような小銃の音が響いてくる。
        午後になると加勢川対岸近くの村あたりでも戦が始まったらしく、煙が立ちのぼり兵士た
       ちの喊声が聞こえてくるようになった。
        翌日、払暁より巡回に出た勤たちが詰め所に駆け込み「薩兵の姿が見えません」と不審
       げに報告する。
       「そうか」と弾んだ声で言った休の胸に、どっと安堵の喜びが湧き上がってきた。

        暖かい四月の陽光は眩しく降り注ぎ、潮が満ちてくる加勢川の川面は青く輝いて、ゆった
       りと揺れていた。小舟はゆっくりと櫓の音を軋ませて往き来している。
       川岸の大柳が落としている木陰に腰を下ろした休は、釣り糸を垂れながら
       「人は行く明鏡の中、鳥は渡る屏風の裏」と口ずさむと
       「それは」勤が知識欲に燃えた眼を向けた。
       「澄みきった流れを歌った李白の詩句だよ」
        勤は小魚の群れが、腹を翻して戯れているさまに眼をやり
       「支那の川も、きっとこんなに綺麗だったのでございましょう」と呟いた。
        橋を痩せ牛が車を曳いてのんびりとわたっている。どこかで井戸水をくみ上げるろくろの
       音ものどかである。
       「戦があったことが嘘のように思えます」
       「うん、薩軍が逸早く転戦してくれたのがよかった」と言った休には、この町の人々の尊い人
       命や、営々として築いた財産を無事に守り抜いた満足感があった。
        うきに眼をやっていた勤が又話しかけた。
       「池辺殿はどこにおられるのですか」
       「木山あたりで戦っている噂だが、間もなく敗退するであろう」
       「先々のことが心配です」
       「多分最後は戦死するか、官軍に捕らえられ処刑されるであろう」と休は暗然と呟いた。
        そよ風に頭上の柳から、綿毛の種子が岸辺に、川面に、休たちの頭にふわふわと舞い落
       ちてくる。
       「これは何ですか」勤が髪についた綿毛を払い落としながら訊ねた。
       「柳絮の舞だよ」休も総髪についた白い玉を取り捨てながら続けた。
       「この柳の種子も、良い場所に落ちたものはそこで芽を出して立派な柳となるが、運が悪け
       れば水に流され、人に踏みにじられて芽は出せない。これと同じで人間も眼に見えない運
       命の糸に操られているのだ。池辺殿のように優れた方でも」
        そう言った休自身が、日ならずして官軍伍長榊原庄一を斬ったかどで、監獄に投ぜられ
       池辺吉十郎よりも早く、九月三十日に刑死する運命とは知る由もなかった。
       「お奉行様、釣れましたか」
        さっぱりした手織縞の着物を着た金八が微笑しながら来ると、魚篭を覗き
       「わぁ、鰻や海老がいっぱい釣れとりますなぁ」と頓狂な声をあげ
       「そろそろ時刻でございます」と休を促した。
        明日十八日は休たちが半田村へ引き上げるので、今夕は川尻町の各町内を始め、近郷
       近在の有志たちが金八の家に集い、送別の宴を催すのである。
        やおら立ち上がった休の眼に、雁回山の夕映えがこの上なく美しく見えた。


                             −完−

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