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        薩軍は花岡山、四方池、島崎などに陣取った噂で、絶え間なく砲声が響いててくる。
       池辺吉十郎からの便りによれば、熊本隊を編成して薩軍に加担したという。時の趨勢ゆえ
       仕方あるまい。憮然として友の身を案じていた休に
       「川尻町の米村金八殿らがお見えになりました」と玉枝が知らせた。
        休が式台に出ると、土間の地面に膝をつき、上り框に両手をおいた金八ら数人が
       「お奉行様、お願いに参りました」と言って頭を垂れた。
        皆顔見知りの川尻町の有力者たちである。
       「これは久し振り。それがし今は奉行ではなくただの素浪人。さあご遠慮なくお上がり下さ
        れ」と休は気さくに言って一行を座敷に請じ入れた。
        熊本、八代などと共に肥後の五ケ町の一つに数えられる川尻町は、商港として、また軍
       港として栄え、藩の町奉行所が置かれていた。
       その最後の奉行を務めた休は、川尻の町に深い愛着を抱いていたのであった。
       遠慮がちに座った金八たちは
       「街道には薩摩の番兵が見張っていて、通行を許しませんので、河尻神社裏手の間道づ
       たいにやっと来ました」
        と言い、胸に溜まっていた憤慨を吐き出すように交々話始めた。
       ----薩軍が川尻に進入すると、肝心の戸長(町長)を始め、惣役人たちは逸早く逃げ出し
          たので、町の統制は出来なくなっている----
       ----無理無体の要求をする薩兵がいて、住民との諍いが絶えない----
       ----町の混乱に便乗して盗賊が横行し、住民は日夜不安に怯えている----
        聞くほどに住民の苦しみはひどいようである。休は不憫でならない。
       「お奉行様、そのような事情で矢も楯もたまらずお願いにあがりました。川尻の町を一刻も早
       く鎮めて頂けませんでしょうか」と必死の眼差しで金八が懇願する。
        ゆかりある川尻一千戸の人々を見殺しにすることは出来ないが、現在自分にそれが出来
       るだろうか。だが事は切迫している。猶予は許されない。急がしく思い巡らせた休は
       「明日早朝に出立して、手だてを考えよう」と返答すると、米村金八らは安堵の色を面にあ
       らわし、出された餅を押し頂くようにして食べると、幾度も礼をのべて帰った。
        二月二十六日(旧暦正月十四日)東の空は白みはじめ、どこかで遠く鶏が啼いていた。
       休は仏壇に燈明をともし、膳についた。
       「門出のお神酒です」と言って玉枝が銚子を持ったとき、床の間に生けてあった南天の赤い
       実が一つ「コトン」と音を立てて落ちた。
       「あっ、不吉な」と玉枝が呟くと、当惑した表情で休の顔を窺がった。
       「難が落ちたのであろう、幸先よい吉兆だ」
        休は殊更に明るく言って杯を乾した。
       勤と昨日集めた腕利きの門弟四名は、荷を肩にかけ土間で休を待っている。
       黒縮緬の羽織を着た休は、新しい皮足袋を履き草鞋の紐をしめると、刃渡り二尺六寸の亀 
       甲胴田貫の剛刀を携えた。
       「お気をつけて」式台に正座した玉枝はそう言って皆に頭を下げた。
       「そなたも堅固でなぁ」
       「行って参ります」
        玉枝は火打ち石を取り出すと、土間に降り立ち休たちの背に、カチカチと無事を祈る切り
       火を打って見送った。
       外は仄かに明るみ、高橋稲荷を祀る城山もかすかに浮かびあがっていた。
       寒気はきびしく、風は冷たい。心急ぐ一行は小走りで川尻へ向かった。
       蓮台寺村の渡船場で手間取ったが、いくつもの麦藁屋根の集落を過ぎると一辰刻(二時間)
       ほどで河尻神社裏手についた。
        河尻神社は鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ、五つの大神を祀る由緒ある神社である。
       休は絵馬を奉納し、川尻町鎮撫の祈願をすますと、おみくじを引いた。
       ----大吉、旅立ちによし、願いごとかなうべし----とある。
       一行の顔は自然に綻んできた。
       境内を出ると川尻往還である。町筋は荷を運ぶ馬車や荷車が泥濘の道をごった返していた。
       その中を幟差の薩兵を先頭に、陸海軍の服をつけた者、袷の裾を端折って、股引をみせた
       者など、服装もまちまちの薩兵の一隊が、銃や槍をかつぎ熊本に向かって進んでいる。
       彼らは気が昂ぶっているのであろう、薩摩訛まるだしに、何か声高に喚きながら通り過ぎていく。
        ぎっしりと建てこんだ家々は無人なのか、息を殺して暮らしているのか、知り合いの旅籠屋も
       桶屋も鍛冶屋も皆一様に雨戸をおろし軒の門松が寂しく風にさらされていた。
        岡町の米村金八は手広く米屋を営み、貸家も数軒持つ裕福な商人である。
       濃紺の木綿に「米、雑穀」と染め抜いた暖簾が下げてある潜り戸を開け、穀類の積まれた店を
       通り抜けると、待ち構えていたのであろう、土間には湯桶が置かれている。
       眼のぱっちりした、ふくよかな顔の金八の妻女が走ってくると
       「お奉行様お久しぶりでございます。またお世話になります」
       とこぼれる笑みを湛えて深々と頭を下げた。
       「お内儀も息災で何よりでござる」
       「むさ苦しか所でございますが、どうぞ」
        妻女が八帖の座敷へ案内した。
       床の間には寒山詩の掛け軸がかけてあり、中央におかれた火鉢には鉄瓶が湯気をたてて
       いた。妻女は急須に玉露の葉をいっぱい入れて、ゆっくり湯ざましの湯を注ぎながら
       「物騒な世の中で、夜もおちおち眠られんごつありました」
       「今日からは安心だと喜んどります」と金八が笑顔で相槌をうった。
       「いやお役に立つかどうか」
        休はそう言って、馥郁とした茶を飲むと、茶碗を置きながら
       「金八殿、西郷殿は今何処にいられるかご存知か」と訊ねた。
       「薩軍本営の塩飽屋でございますが、今日二本木の本営に行かれるらしか噂もあります」
        妻女は話好きなのであろうか、すぐ口を挟んだ。
       「お奉行様、二十一日はとても大変な人出でございました」
       「ほう」
       「私も有名な西郷さんば一目見ようと、塩飽屋の近くまで行きました。ところが道筋はもう沢
       山の人出で、ようやく人の後ろから馬上の西郷さんば見るこつの出来た程でございました」
       「・・・・・・・・・・・」
       「陸軍大将の服ば着とられて、それはよか武者振りだったとです。お奉行様も肥後の西郷
       さんと言われとるとですけん、軍人にならるると武者んよかと思いますばってん」
        妻女はそう言うと、クックッ・・・・・と声を出して陽気に笑った。
        休も釣られて笑いながら
       「それでは早速西郷殿の服を見て参ろうか」
        休は冗談まじりに金八夫妻に告げると、急ぎ足で塩飽屋へ向かった。
       今朝間道づたいにこちらに来る時、遥か東の川尻街道を大小の幟が熊本方面に進んでい
       た。あれが西郷殿の本隊だったのでは、との不安が休の心を急き立てる。
        休は西郷隆盛と二度会っている。休が留守居役として京にいた時と、五年前(明治五年
       七月)の明治天皇肥後行幸のさい、西郷が侍従として随行して来た時である。
        休は面識ある西郷に川尻の治安についての協力を頼むつもりでいたのであった。
       下町には塩飽屋、大島屋、和泉屋などの豪商が多い。呉服商の塩飽屋の門口には『新政
       大総督征討大元帥 西郷隆盛』と大書した標札が物々しく掲げられていた。
       軒下には、すぐ運送するためか、または倉に入りきれないのであろうか、小荷駄の菰包み
       が堆く積み上げられていた。
        休は番頭とおぼしき男に来意を告げると、主の塩飽屋文次郎が愛想よく出迎え、
       「西郷様は今朝熊本におたちになりましたが、隊長の原田様は居られます」と言って、木戸
       から幾つもの倉を通り抜け川岸にある住居に案内した。
       柿色木綿の野羽織に黒の袴をつけた、色の浅黒い薩軍の川尻隊長原田壮之丞は、野太
       い声で数名の薩兵に何か指図していたが
       「先刻早打ちで熊本隊長池辺どんから連絡のあったお方でごわすど」と言い、人懐こい笑
       顔を見せた。
        急に休の胸に熱いものが込み上げてきた。
       今朝蓮台寺の渡船場で船を待つ間、休は二本木の薩軍本営にいる池辺吉十郎に、矢立で
       懐紙に、川尻に行く用件を認め送っていたのであった。
        休を客間に通して、気軽に向かい合った原田は、あぐらを組み茶碗酒をふくみながら休の
       話にいちいち頷いていたが
       「ようごわす。万事儂が引き受け申そ。こちらもお前んに用件がある時には、よろしゅうお頼
       ん申す」と快諾してくれた。

        米村金八は所有の隣家を休たちの詰め所に提供した。
       休は直ちに鎮撫隊を組織すると、ここに高札を掲げて町民に告示した。
           (薩兵が県下に進軍して戦端が開かれたが、県は人民を保護する事が出来な
            いので、この虚に乗じて不逞の徒が蜂起している。そこで前川尻町奉行上田
            休が鎮撫するので皆安心せよ。若し命に背く者があれば厳重に処分する)
        高札の前に集まった人だかりが散ると、鎮撫隊はその日から町の警備に当たった。
       それを見た人々は、やっと安心したらしくぼつぼつ家の戸が開き始めていた。
       翌朝からは商家の妻たちが、戸を繰りながら路ごしに挨拶を交わす声が聞こえてくる。
       日が昇ると町人たちの行き交う下駄の音、天秤棒をきしませ荷を担いでいく物売りの声、
       「トンカン・・・・・・」と鍛冶屋の槌打つ響きなどで町は蘇ったようであった。
        悪党たちは鳴りをひそめているのか、休が川尻に来てから暫くは何事も起きなかったが、
       ある日古着屋が蒼白な顔で飛び込むと
       「二名の武士らしき者に衣類を強奪されました」と訴えた。
        捜して引っ捕らえると、詰め所の前に人垣を作っていた弥次馬から
       「あれは人殺しをした札付きの悪者だ」
       「泥棒はたしかにあいつ等だった」という声があがった。
        休が二人に真相を確かめると、ふて腐れたように
       「食われんけん、やったまでだ」とうそぶきせせら笑った。
       ″これは許せない、見せしめのために
        休はそう肚を決めると即座に首を刎ねるなど、一罰百戒の方針で臨んだので、その後悪
       人の跳梁は途絶えたようである。
        また薩兵が熊本への物資の輸送に人夫を徴発しては、ただで扱き使うという苦情を受け
       ると、休は薩軍本営に行って日当四十銭の賃金を定めるなど、治安の回復や民生の安定
       に奔走したので、町は落ち着きを取り戻し日毎に明るさを増していった。

        本営へ所要のある休は、夜間巡視に出かける水橋弥久馬らと連れ立って詰め所を出た。
       弥久馬は当地で鎮撫隊員として採用した、地元船頭町の士族である。
       「雨が落ちそうです」と、勤が門口で番傘を休に渡した。
        冬には珍しく生暖かい南風が頬をなで、何処からか沈丁花の甘い香りが漂ってくる。
       町内ごとに設けた夜警が巡回しているのであろう、拍子木の音がカチカチと聞こえてくる。
        戸を閉めた家々からは、かすかな明かりが洩れていた。
        休たちはゆっくり小路町へ歩いた。
        小路町にある河陽小学校が薩兵の兵舎に充てられている。この付近で昨夜薩兵と住民
       との間で揉め事があったと什長(町内長)より報告があったからだ。
        兵舎内からは陽気な声は聞こえるが別に異常はないようだ。多分薩兵は酒を飲んで戦
       争の恐怖を紛らわしているのだろう。
        兵舎を通り過ぎた休の耳に、絃歌のさんざめきが聞こえてきた。
        無田川にそった柳堀の遊郭からのようである。
       「妓楼も繁盛しているようだ」
       「はい、とりわけ小夜浦のいます玉屋が一番のようです」と弥久馬が即座に答えた。
       「小夜浦」
       「長崎生まれの年増ですが・・・・・・あの声です」

            花の川尻、お蔵の前から眺むれば
                     おやぽんぽこにゃ
            下は加勢川、外城町
                少し下ればおや御船手、渡船
                     おおさぽんぽこ、ぽんぽこにゃ

        三味の音とともに艶のある小夜浦のぽんぽこ節が流れてくる。
        唄の文句にある外城町を巡回する弥久馬らと別れた休は、ひとり本営を訪れた。
        半時(一時間)ほどして、要件をすませた休が再び無田川へさしかかった時、突然柳堀
       の方から女の喚きたてる声が湧きあがってきた。
        休は提灯の燈を消し、急ぎ足で近付くと、玉屋の文字が浮かんだ掛行燈の下で、遺手
       婆らしい小太りの女が、血相変えて四、五名の薩兵を罵っている。
        休は家並みの軒下に身を寄せて、成り行きを見守った。
        薩兵の中で、ひとりの遊女が緋縮緬の湯文字もあらわにしてもがいている。
        あきらかに薩兵の酔態は羽目をはずしているようである。
       「卑怯者」遺手婆が絶叫した。
       「俺どんに卑怯だと」
        薩兵のひとりが婆の前に出ると抜刀した。
       「危ない」休は声にならない叫びをあげると矢庭にとび出し、持っていた番傘で薩兵の刀を
       払い、対手の利き腕をつかんだ。
        相手は以外に脆く、酒の匂いがぷーんと休の鼻をついた。
       「あっ、お奉行様」女の声がした。
        薩兵の間に動揺が走ったようである。
       「お奉行様? 鎮撫隊の上田殿か」
        面ずれのある背の高い男はそう呟くと、仲間に眼顔で合図した。遊女は放たれた。
        休もその男の腕を放すと、男は忌ま忌ましそうに、ぺっと地面に唾を吐き、
       「覚えとれ」と捨てぜりふを残すと、一同はわざとらしい豪傑笑いを響かせて闇の中に消え
       さった。
       「お奉行様、有り難うございました。どうぞお茶なりと」
        と婆が懸命に言うのを断りきれず、休は案内されるままに、階段を軋ませて二階の六帖の
       間に座った。
        床の間に活けられた梅の花が、淡い燭台の炎に白く浮き上がって見える。
        酒肴を運んできた女たちが去ると、かすかな衣擦れとともに万媚の面をつけたような濃艶
       さをたたえた女が入ってきた。
        女は手燭を消すと三つ指をつき
       「小夜浦と申します。先程は若い妓が危ないところをお助けいただきまして・・・・・」
        珠を転ばすような声で丁寧にあいさつすると、妖気が漂っているような笑顔を見せた。
        ぞっとするような美しさである。
        小夜浦は紅染めのうちかけを脱ぎ、休の側ににじり寄り銚子をもった。
        脂粉の香りが甘く休の鼻を衝く。休は夢心地で杯を重ねた。酔いが快かった。
        小夜浦は、ほんのりと赤く染まった目許に媚をたたえ、休に酒を勧めながらも深い吐
       息をもらした。
       「どうしたのだ」
       「いいえ、何でもありません」
        小夜浦は眼に意味あり気な光を放ちながら言うと、むっつりと黙り込んだ。
        夜も更けたのであろう、鉄瓶の湯がたぎる音だけが聞こえてくる。
        休は無意識のうちに冷えた杯を乾した。
        休は酒が好きなくせに弱い。深酒をすれば前後不覚に陥る己の醜態を心得ている。
       「隊員も心配していよう、帰るぞ」というと突然小夜浦は休の太腿に手を置き
       「お泊りなされませ」と眩しいほどの熱い視線を絡ませてきた。
        吸い込まれそうなその眼に、休の自制心は喪われそうである。
        この上長居すれば、自分の魔性に魅入られる。
        休が立ち上がると、小夜浦は倒れ込むように休の胸にすがって来た。
        小夜浦の喉が細かくふるえ、嗚咽をこらえているように見えた。
       「許せ」
        休が掠れた声で呟くように言って、小夜浦から離れた。
        ふりかえると畳に俯した小夜浦の笄が激しく揺れ動いていた。
        外は小雨が音もなく降っていた。
       「げに、人は六塵の境に迷い、六根の罪を作る事も」
        謡曲「江口」に謡う世阿弥の言葉を休は呟いて傘を開いたが、小夜浦の顔が瞼の裏に
       いつまでもたゆたっていた。
       

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